低空飛行の鳥瞰図

 先祖供養の場というのは、離れて暮らす親族が一堂に会して思い出や近況を語らい、互いのつながりを確認する機会でもある。

 先だって行われた法事は単なる供養や懇親を超えて、私にひとつの諦念をもたらした。私の親族と語らい、姪や甥と遊ぶ夫の姿を見て、私はもう独り身ではないのだと安堵と失望をともなうかたちで実感したのだ。“年貢の納め時”ともいえるかもしれない。大空を自由に舞う風切羽と引きかえに安定して歩ける足を得、透明な鳥籠に入るかわりに好きなだけ歌う自由を得た。この自由と不自由が逆転したような状況は、今後一生つづくのだろうかと落胆を禁じえなかった。かつてのように、大空を自由に舞い、それでいていつ墜落するかと不安で、消えたいという間欠的な念慮を原動力とする視座はもう失ってしまったのだろうかと悲嘆にくれた。

 しかし、法要から戻り、実家の庭で見るともなしにトンビが舞う様子を眺めていたときだった。子供のころに見たそれよりずいぶん低く舞っているように感じられたのだ。自分の背が伸びたせいだろうかと思ったが、親族に確認すると、やはり昔より低空を舞うようになったという。何が原因かはわからないが、低空を舞うようになってもトンビは舞うこと自体はやめなかった。

 20年前の祖父の死を皮切りに、両親や祖父母、大叔母など、私を守り、愛情を注いでくれた周りの大人たちはみんな亡くなってしまった。最も年少ゆえに、姉たちよりも1世代、2世代上の親族の死に早く直面するだろうと覚悟していたが、それでも父や母の死は早すぎた感があった。

 いま思えば、知的障害をともなわない自閉症スペクトラム、“アスペルガー症候群”だったであろう父が震災後にパニックを起こし、心神喪失状態で自殺した際、自分はひとりになったのだと耐えがたい孤独感に襲われた。近くに仲のよい姉がいても、その孤独感は払拭できなかった。疲れたら、無理をしないでゆっくり羽を休めなさいと、無条件に迎え入れてくれる親という存在を心のよりどころにしていたと気づかされた。自由を謳歌し、不安定でも高いところを舞うことができたのは、羽を休める場所が用意されていたからにすぎなかった。独立した存在であろうと心していたつもりだったが、完全に独立し、自立した存在だったことは一度もなかったのだ。

 そして、父が亡くなってそう年月が経たないうちにいまの夫と暮らしはじめた。

 嫁にいくつもりはなかった、結婚するつもりじゃなかった、あるいはそんなタイプだと思われていなかった等々、自分は誰かとパートナーシップを組むのに不向きだと思っていたと主張する人は多い。一部は本当にそう思っていたのだろうし、また一部は多くの人がする結婚という“つまらない選択”をしたことへの自己弁護して主張する。自分はイレギュラーで非凡な人間だったのだが、気の迷いで伴侶を得てしまったのだと。自分の凡庸さを認めたくがないために、結婚が自分の凡庸化を招いたのだと口実にする人もいるだろう。

 私自身、共同生活者や伴侶は自由を奪う悪しき存在だと思っていた。実際、半同棲すら忌避していたし、24時間以上ひとりの時間を持てないとストレスを覚え、どうにか口実をもうけて相手を追い出すか自分が逃げ出そうとした。たいていは失敗し、48時間一緒に過ごすはめになったが、相手はなぜ私が苛立っているのか理解できない様子だった。私にとってそうした相手は恋人であり自由を脅かす敵でもあった。

 だが、いつしか長時間一緒にいても苦にならない相手が現れた。いまの夫だった。それでも、父や母が存命だったら、彼と暮らしていただろうかと疑問に思う。ちょうど父が亡くなって孤独感に打ちひしがれていた時期で、心の奥底から家族がほしい、寄り添える肩がほしいと初めて感じたときでもあった。家族がひとり、またひとりと亡くなり、そして誰もいなくなるのが怖かったのだ。

 その時期にたまたま付き合いのあった夫がたまたま支えてくれたから、一緒に暮らすという決断にいたったが、もし父が亡くなっていなければ、あるいは誰もいなくなる未来に恐れを抱かなければ、いまもまだ独りで夫は夫でなくただの恋人か友達になっていたかもしれない。

 
――実家の庭にたたずみ、低空を舞うトンビの姿を見て思った。彼らは高い場所を飛べなくなったし、飛び方も変わったけれど、別に飛べないわけではないのだ。そしていま、自分の背中に新しい風切羽が生えつつあるのを感じた。

 どんなに居心地のよい環境に安住しようとしても、悲喜こもごもの出来事に見舞われ、環境は時々刻々と変化していく。変化を受け入れ、変化に適応しなければ、同じ場所を回っているうちに螺旋階段に迷い込んでしまう。1段、また1段と奈落へと下っていき、底に降り立ったときには暗闇の中にひとり取り残されているのだ。

 夫と暮らしはじめて3年半あまり、低空飛行のトンビを見たあの日。大空を自由に舞い、それでいていつ墜落するだろうかと不安で、消えたいという間欠的な念慮を原動力としていた視座に別れを告げ、ようやく新しい視座を受け入れることができたのだった。
 

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