オトナをやめる~グッバイ・ミドルエイジクライシス~

 
 ちょっとした事業活動に関わるようになった。突如として社会性がめばえたわけではなく、以前と違って書き物仕事も減り、週の半分は時間を持てあますようになったからだ。

 暇になると、人はろくなことを考えない。ある人は消し去りたい過去の記憶を反芻しては煩悶する。またある人は、7つの大罪のどれかに手を染める。そして、私は空想世界をさまよう一方で、自分の行く末を案じて気が滅入ることが増えた。もともと見通しが明るかったわけではないが、30代半ばになり、ミドルエイジクライシスが蜂の大群のように脳内の隅っこから中央に向かって襲来することが増えた。
 この10年来、所用、打ち合わせ、散歩、街歩き、買い物以外ではほとんど家を出ずに暮らしてきたが、無情にも流れゆく時を肌身に感じながら何もせずに過ごすのが苦痛になってきた。町内一の怠惰の女王だと自負してきたのに、ついにその座を退くときがやってきたのだった。

 それで関わりはじめたのが前述の事業活動だった。かねてより関心のあった分野で、週に数日だけとはいえ刺激も多い。社会人経験の乏しさから、組織内で立ち回るのに苦労するだろうと案じていたが、即戦力や具体的な利益をもたらす存在と見なされていない分だけ気負いも少なく、徐々に慣れていけばよいのも好都合だった。
 ただ、対人スキルが求められる分野で、時にはハラスメントに相当する発言をする人も現れる。変質者が目の前に現れて、満面に笑みでズボンとパンツを下ろしはじめたら相応に動揺するし、恐怖のあまり凍りつくかもしれないが、多少のセクハラ発言ならこちらも動じない。受け流すか、法的措置も辞さないことを示してやんわり諭す。それで問題は解決する。

 しかし、伏兵は常に死角に潜むものだ。事務作業をしていたとき、たまたまスタッフの青年Aと2人きりになった。彼がふいに口を開いた。

「こういう作業って、得意ですか?」
「資料の整理はあまり得意ではないですけど、領収書の整理なら得意ですよ」といいながら、私は作業をつづけた。
「そうなんですね。うちの母はどうもこういう作業が苦手で、僕がかわりにやったりするんですよ」

 私の手がとまる。せまい事務所に雷雲が広がり、脳天に稲妻が突き刺さった。

 
 落ち着け。

 
 青年Aは20代前半。私より10歳ほど年下で、かつて友達以上恋人未満だった彼よりもひとつかふたつ年上なはずだ。そんな背景をもつ青年Aに、私は母親と同じ枠に入れられたのだろうか。そういえば、最近、“お姉さん”呼ばわりしてくるのは、30歳前後以上の男性ばかりになった。生徒の平均年齢が異様に高い三味線教室で、50代の女性が“お若い方”と呼ばれるのと同じ法則だ。

 以前は“お姉さん”呼ばわりされると、軟弱フェミニストの血が騒ぎ、軽んじられている気がして内心憤慨したりした。“マドマゼル”より“マダム”と呼ばれたかったのだ。それが最近は情けないことに、“お姉さん”呼ばわりされるとまんざら悪い気がしない。かすかな抵抗を感じる一方で、“お姉さん”って呼ばれちゃったと思ってスキップまでしかねない勢いだ。

 
 全身をもやもやとした暗鬱な思いに包まれながら作業を続行し、自宅の玄関ドアを開けるころには、ドロドロとしたスライム状の粘着物になって室内に流れ込んだ。

 ソファーで本を読んでいた夫が何事かと目を丸くした。私は数時間前に起きた悲劇をせつせつと報告し、慰めを乞うた。彼はいつものように顎髭をいじりながら熟考モードに入った。彼はなにか疑問に直面すると、相手の言動や行動を分析または推理する癖がある。その根拠を示してもらえれば、“母親枠”に入れられた傷も癒えるにちがいない。そう期待した。

「現在、青年Aが密に接する女性は母親のみで、領収書の整理という言葉から浮かんだ比較対象も母親だけだったんだよ」

 なるほど、青年Aの常日頃の言動から察するに、夫の推理も一理あるかもしれない。3次元の女にあまり関心がなさそうな様子もある。そんな青年Aにとって、生身の女はかえってリアリティがないのかもしれない。いや、待てよ。

「でも、私、あなたより5歳上だけど、前にあなたのスーツを作りにいったとき、ショップの店員さんに“お母さん”呼ばわりされたことあったよね? 私の耳には『お茶いかがですか?』としか聞こえなかったんだけど、あなたが『お母さんって言われたね』と苦笑気味にいって」
「その話は蒸し返さないで」

 ある紳士服店に赴いたときだった。店員と客が机をはさんで向かい合わせに座り、サンプルを見ながら布地やスーツのデザインを選ぶ形式の店で、ちょうど台本を開いた頃合いで他の店員が飲み物を勧めてきた。まずは夫にたずね、つづいて私にもたずねた。その際、私は「お茶、いかがですか?」と聞かれたつもりでいたが、夫の耳には「お母さんもいかがですか?」と聞こえたらしい。当時の夫は実年齢よりだいぶ下に見えた。成人式まではいかなくても、社会人生活のスタートに合わせてスーツを作りにきたと思われたのかもしれない。

 店員が席を外した隙に、夫が苦笑気味に言った。「『お母さんもいかがですか?』って言ってたね。ふつう、こういう店だと、客から関係性についてわかるような発言がないかぎり、関係性を推測して言ったりしないものなんだけど」
「お母さんなんて言ってないよね。『お茶、いかがですか』と私の耳には聞こえたんだけど」
「はい、そうです」

 思い返せば、もうあのとき、坂道を転がりはじめていたのだ。ううん、極論をいえば、生まれたときからエイジングは始まっていたのだ。ずっと上り坂であればいいものを、いつしか下り坂に入ってしまっていた。仮にするとしても、フェイスリフトやボトックスはもう少し先の話だと思っていたが、前倒しするべきではないだろうか。
 それとも、精神面の問題だろうか。成熟せず、幼稚なまま老化していっているのだろうか。全身をピンクハウスの服でコーディネートした100歳の老婆の姿が目に浮かんだ。いや、それが似合う人ならいい。でも、私は似合わないし、そこまで振り切れない。

「あと、君はしゃべり方も落ち着いているから、それも一因なんじゃないの?」と、茫然自失と箸を運ぶ私に夫がだめ押しで言った。
「それって、しゃべり方がババくさいってこと?」
「すいませんでした」

 静まり返る食卓。地球滅亡を翌日にひかえた晩餐でも、もっとにぎやかだったにちがいない。

 
 翌朝になってもダメージは癒えず、夫を送り出してから、布団に潜り込んだ。頭まで布団をかぶって悶々としているうちに眠ってしまったらしい。私は夢のなかで、どちらといえば急進的なフェミニズムを信奉する旧友と侃々諤々やり合っていた。

「年齢差別もそうだが、どうしておまえは性差別と戦わないのだ。“お姉さん”呼ばわりされたら抗議すべきだ」と旧友は静かに叱責する。

「たしかにそうなのだが、いま私が関わっている団体のスタッフ側でない人たちは、自分より年下であったり、名前を知らなかったりする女性を“お姉さん”と呼ぶことを当たり前とするカルチャーで生きてきた人が多い。“お姉さん”呼ばわりが性差別に相当すると気づいていないのだ。無自覚の差別意識が潜んでいるとは思うが、長時間接するわけでもない相手に、ハラスメントだと抗議する時間も労力もないのが現実だ。たとえば、商店主に“奥さん”や“お姉さん”と呼ばれたからといって、猛然と抗議したり、議論を吹っかけたりするわけにもいくまい。それと同じことなのだ」と私は反論した。

 20代時分に同じようなシチュエーションで“お姉さん”呼ばわりされていたら、さりげなくでも抗議はしたかもしれない。若さゆえの融通の利かなさであろうと、きちんと権利主張はした。でも、いまは場の空気を乱さないことを優先するようになったうえ、「うわ、必死だ」と痛々しく思われるのを恐れるようになったのかもしれない。そう恐れる私自身、エイジストなのだ。

 明確な差別や不当な扱いであれば、抗議もしやすい。なんなら法的措置をとることもできる。先だって発生したアメリカの航空会社・ユナイテッドによるアジア人差別と、それに端を発する乗客への暴行事件などもそうだ。けれど、日常の小さな違和感には抗議しにくい。今回のケースは、「もしかすると、10歳ほど年下の青年に“母親枠”に入れられたかもしれない」という非常に曖昧なものだ。ただただ、もやもやした気持ちを抱えて消化不良のまま霧消するのを待つしかないのだろう。そして、霧消した頃にはまた新たな小さな違和感に見舞われるのだ。

 20代より30代のいまのほうが楽しい。それと同時に、精神年齢が追いついていないのに、生物年齢ばかりが進むことに不安も感じている。いつまでもいたちごっこで、きっと精神年齢は死ぬまで生物年齢に追いつかない。いつしか、若者に貸与される免罪符や猶予特権も期限が切れていた。実際にそういう選択肢をとるか否かは別として、奔放で無責任であっても咎められない立場でありたい。
 “お姉さん”呼ばわりされて軽んじられることにかすかな抵抗を感じる一方で、性愛市場ではしばしばアドバンテージとされる“若さ”を失い、性的な存在として意識されなくなることも怖い。完全にミドルエイジクライシスだ。

 かくなる上は、時間をかけてでも自分の気持ちと折り合いをつけなければいけない。私は全身をピンクハウスの服でコーディネートした100歳の老婆にはなれないのだから。
 右か左、どちらか極端に触れるのも違う気がする。唯一の治療法はきっと、年齢という概念、とくに“オトナ”という概念から自由になることだ。そうだ、オトナをやめればいいのだ。そして“痛々しい人”と見なされても、それを甘受する。どう見られたいかではなく、どうありたいかを優先する。私は自由だ。自由になるんだ。脳内に現れた断崖絶壁の崖っぷちでそう絶叫した。
 

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