純愛よ、自己犠牲よ、さようなら

 
「独身男じゃダメ。既婚者で奥さんがいる人じゃないと燃えないの」と語る知り合いがいた。事実、彼女が付き合う相手は既婚者ばかりで、しょっちゅう泥沼に陥ることから、ひそかに“不倫の女王”と呼ばれていた。旦那持ちとなり、特にオープンマリッジも実践していないいまの私から見れば、彼女のような人は一夫一婦制の脅威にほかならないのだが、自分たちが一夫一婦制を実践しているだけで他人のあり方はあまり気にならない。独身だった当時も、困った人だと思いつつ、ときおりもたらされる彼女の冒険譚にふむふむと耳を傾けたものだった。

 
 小室哲哉が不倫報道の果てに芸能活動からの引退を表明した。会見では、クモ膜下出血から高次脳機能障害になった妻KEIKOの介護疲れ、音楽家としての自信喪失など、さまざまな苦悩がつぶさに語られた。

 Twitterのタイムラインを流れる多数のコメントに目を通しながら、自分も同じような立場に陥ったらどうかと考えた。心身ともに健康だった最愛の人が、それまで交わし合った言葉を忘れ、生活全般に人の助けを必要とし、肉体的な交わりも叶わず、介護する自分に理不尽に怒りを爆発させるようになっても、変わらず愛しつづけることはできるだろうか。私には自信がない。仮に愛しつづけられたとして、介護で心身の疲労が重なったときに手を差し伸べてくれる人が現れたら、その優しさにひとときの安らぎを求めてしまうかもしれない。愛が深ければ深い分、喪失の悲しみも大きいものだ。その疲労や悲しみをひとりで抱えながら進むのは、砂利道を裸足で進むに等しい苦しみだろう。

 
 かつてのメル友全盛期、私も何人かのメル友とたわいもない内容の文章をやり取りしていた。携帯サイトの掲示板から話の合いそうな相手を見つけ、「はじめまして」のメッセージを送る。ウマが合えばメル友になり、合わなければスルーするかお断りのメッセージを送るのだ。相手はコンスタントに入れ替わり、最初から出会い目的の人とはあまり接触せず、ただメールのやり取りをする相手が多かった。数日で音信が途絶える人もいれば、数週間、数ヵ月、最長で1年という人もいた。

 ある日、新しいメル友を探そうと掲示板を眺めていたとき、がんの妻を介護する男性“タケノリ”の投稿が目にとまった。淡々と現状を書きつづり、できれば恋人までの関係になりたいという。軽い文体の投稿がならぶ掲示板において、タケノリさんの投稿は引きこもりの青年の投稿と同じぐらい目を引いた(拙著『2011』“10年目の邂逅”参照)。

 妻のある男性と性的な関係をもつのは、私の倫理観に反することだったが、メールのやり取りだけなら問題ないだろうと思った。さっそく、「現時点では恋人までの関係は考えられないけれど、メル友からでいいなら」とメッセージを送った。ほどなく了承の返信があり、彼との数週間にわたる交流がはじまった。

 当初は、同情を引いて肉体関係をもつために嘘をついているのではないかと疑った。だが、その可能性は低そうだった。同情を引いて肉体関係をもつのが目的だとしたら、計画に穴がありすぎたし、介護経験のない人にはわからないような心情が綴られていた。

 しかし、その一方で、タケノリさんに対する批判的な思いはなかなか払拭できなかった。病床に伏せった妻の存在がありながら恋人を求める彼が不潔に思えたのだ。まだ本気で人を愛したことがなかった私には理解しがたい感情だった。「ほんとに俺のこと好き? これまで本気で人を好きになったことある?」と、ことあるごとに自分が相手のなかでいちばんの存在だと確認したがる交際相手に聞かれたときは、劣等感と煩わしさから心にもない言葉を吐いて傷つけた。自分を守るために、劣等感をひた隠しにするために彼を傷つけることしかできなかった。10代の頃に倍の年齢の男性と交際したときも、なぜ相手が自分に執着するのかふしぎだった。自分の替えなんていくらでもいるのに、なぜ10代の小娘ひとりに執着するのだろうと。

 タケノリさんは、たびたびお茶や食事に誘ってきた。最初は渋っていた私もしだいに心境が変化し、食事だけならと応じることにした。待ち合わせ場所に現れたタケノリさんは、彼自身が病人ではないかと思うほどやつれ、顔からは生気が失われていた。夢を叶えられず、自分の人生を諦めてしまった中高年の人に見られがちな疲弊の色がにじんでいた。

 じかに会って、タケノリさんは“性の接触”より“生の接触”を求めていることがわかった。妻が余命宣告を受けていること、告知を受けてから妻に忍び寄る死の影に怯えて抱けなくなったこと、両親も他界していて子供もいない自分は妻が亡くなったら天涯孤独になること。そんなことをタケノリさんは日本酒をちびりちびり舐めながら訥々と語った。私はただ黙って聞くしかできなかった。がんの妻の代理も、がんの妻をもつ夫の気持ちを受け止めるのも、小娘にはあまりに荷が重かった。

 それからまた食事に行こうという誘いはあったが、しだいに返事が滞りがちになり、いつしか音信が途絶えてしまった。すでに私のキャパシティはいっぱいで、タケノリさんの身に及んだ不幸を受け止めきれなくなっていたのだ。生きていれば、彼も60代後半。奇跡的に病状が回復していなければ、音信が途絶えてから程なく妻を見送ったはずだ。その後どんな人生を送ったのか、いまとなっては知る由もない。

 
 なぜ世の中は愛に純粋性を求めるのか不思議でならない。それも、純粋性を求める側は往々にして通俗的だったりする。妻の介護に疲れた男性が他の女性に癒しを求めてマスコミから叩かれる。夫や妻、パートナーを殺害された犯罪被害者が新たな人と関係を築けば白い目で見られる。まるでわが身に及んだ不幸はすべて甘受して、死ぬまで喪に服すのが当然と言わんばかりだ。

 心身ともに健康だった最愛の人が、それまで交わし合った言葉を忘れ、生活全般に人の助けを必要とし、肉体的な交わりも叶わず、理不尽に怒りを爆発させるようになっても、変わらず愛しつづけることはできるだろうか。そのためには、可能なかぎり心身の負担を減らす必要があるのではないだろうか。

 私は介護が必要な立場になったら、経済的に可能な範囲でアウトソーシングしてほしいし、夫の介護も可能な範囲でアウトソーシングしたい。ただ手を握り、何億という確率のなかからめぐり逢って、喜び、悲しみ、ひいては人生を分かち合ってきた幸運を語りたい。そして、意思疎通が難しくなった妻を見て悲嘆に暮れつづけるくらいなら、ひとときの安らぎをもたらしてくれる女性と接触を持ってほしいと思う。最愛の人が笑顔でいること、それが愛した側のなによりの喜びだからだ。
 

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そして誰もいなくなった

 
 あまのじゃくなせいで、さまざまなものが指と指のあいだをすり抜けていった。修復できたはずの人間関係は不協和音を奏でたまま弦がはじけ、担うはずの仕事は別の人の手に渡り、評判のお菓子は味を知らないまま市場から消えていった。どれもこれも、いまや手に入らないものばかりだ。

 その点、世間の大絶賛を尻目に読まず見ずを貫いてきた本や映画のヒット作はやさしい。取り返しがつくからだ。本屋やレンタルショップで見かけることもあれば、AmazonやNetflixで見つけられることもある。そうしたなかのひとつが『この世界の片隅に』だ。言うまでもなく、世界中の耳目を集めた大ヒットアニメ映画だ。物語の詳細は他のあまたのレビューにゆずるとして、申し分なく素晴らしかったとだけ書いておこう。

 そして、太平洋戦争前後の広島を描いたこの映画でもそうだった。何かにつけて私の脳裏をかすめ、得体のしれない渦のなかに引き込む“歳月の流れ”という甘く残酷なものが、映画を見ているときも見終わったあとも繰り返し押し寄せてきた。

 
 数年に一度、大掃除のときに開くアルバムがある。淡い色合いの動物が表紙にプリントされ、ベタつく粘着の台紙とフィルムのあいだに写真をはさむ、かつてよくあったタイプのアルバムだ。

 アルバムの片隅で妙に存在感を放つ、その写真を撮ったのは四半世紀前だ。お盆で帰省していた叔父を加えた家族全員で集合写真を撮った。いい機会だから、夜のとばりが下りる前に写真を撮ろうという話になったのだ。
 おやつを食べ、母が夕食の支度をする前の時間。外は薄曇りでもうすぐ夕立がきそうだった。雨が降る前にという父の号令で、自室で思い思いに過ごしていたみんながひとり、またひとりと靴をはいて玄関先に出てきた。総勢8名。父は数メートル先に三脚を立て、カメラのピントを合わせていた。同じ構図の写真が2枚あるのは、なにかにつけ転ばぬ先の杖を求める父の習慣だった。誰かが笑っていなかったり、目をつぶっていたりしても、複数枚あれば保険になると思ったのだろう。1枚目は、写真を撮られなれていない祖父母の表情が固く、私はアニメのキャラクターのポーズをキメるのに忙しく、父は私に正面を向かせようとし、母はまぶしそうに目を細め、叔父は虚空を見つめ、何も知らずに前面に立つふたりの姉だけが取り澄ました顔をしている。2枚目はそれらが若干改善されたものだった。
 何枚もある家族写真のなかで、なぜいちばん印象に残っているのかわからない。集合写真にめずらしく叔父の姿があったからだろうか。空想にふけっては遊ぶだけの毎日で、なにも変わらないように思えた。

 その写真から最初にいなくなったのは祖父だった。つぎに母が、そのつぎに父、さらに祖母もいなくなった。たった四半世紀のあいだに。さらに四半世紀たったら、また誰かいなくなって、もう四半世紀たったら誰も残っていないかもしれない。

 
 あっけなく人はいなくなる。ふしぎなものだ。自然の摂理と頭ではわかっていても、いざ実体がなくなると、彼らの存在が遠い昔の幻であったように思えてくる。現存する築100年の建物を手がけた職人たちの写真を見たときも同じような感覚にとらわれた。いまなお建物は屹立しているが、写っている職人は誰ひとり存在しない。真っ黒に日焼けした笑顔すら遠い昔の幻だ。

 生死だけでなく、人間関係についても同じことが言える。生涯にわたって交流がつづくだろうと感じていた人でも、お互いの生活環境や価値観に大きな食い違いが生じると疎遠になってしまう。絶交のような明瞭さはない。まじわっていた糸が時の流れに放たれて少しずつほぐれ、いつしか最後の1本がゆらゆらと流れに飲み込まれていく。

 当たり前であったはずの暮らしが少しずつはぎ取られ、新しい秩序が少しずつ上張りされ、思いもよらなかった暮らしがはじまる。幼くて考えが及ばなかったり、平穏であったりすると、いまの暮らしが霧消し、新しい世界が到来し、新しい暮らしを送ることになろうとは考えないものだ。まったく違うように見えて延長にすぎない暮らし。単調な青一色の抽象画が並んでいるように見えたのに、順に見ていくうちに色調が変わり、鮮やかな色味になったり、暗鬱な色味になったりする。そして、気づけば袋小路で立ち往生し、向こうを過ぎゆく人をぼんやり眺めている。彼らは色調の変化に気づいているだろうか、変化に理解が及ばないまま袋小路に迷い込んだりしないのだろうかと考えながら。しかし、彼らもまた居たたまれずに袋小路から飛び出したものの、どこへ向かっていいのかわからず、さまよっているだけかもしれないのだ。
 

Eu e Você~想いあふれて~

 
 どこの街にも正体不明の謎深い人はいる。いわゆる、“ヘンな人”だ。ヘンな人は単に個性的な人である場合もあるし、何らかの精神疾患を抱えている場合もある。後者で重篤な問題を抱えているにもかかわらず、見過ごされている場合には福祉につなぐなどの手助けが必要だが、たまに見かける程度の“ヘンな人”に偏執的な関心をもつ人は多くない。たいていは関わりを避け、適度な距離を保って暮らす。それでも、彼らは前衛的な画家が巨大なカンバスにぶちまけるビビッドな絵の具のように突然差し色として街角に姿をあらわすのだ。

 そういう意味では彼もまた差し色で、当初はよくいる“ヘンな人”のひとりだと思っていた。

 彼の存在に気づいたのは、12月の寒い朝だった。吐く息は白く、足もとから忍び寄る寒さに思わず早足になる。散歩をすませて自宅マンションに戻ると、見慣れないブルーの乗用車がとまっていた。暖をとるためなのか、アイドリング状態で、マンションのエントランスからほんの少しずれた位置に停車していた。正面玄関は目と鼻の先で、住人としては、知らない人の視線を感じながらオートロックを開錠するのは気持ちがいいものではない。さりげなく一瞥すると、60代にも70代にも見える彼は朗らかな笑みをうかべ、人待ち顔で運転席に座っていた。

 一度目は誰かを迎えに来たのだろうと気にとめなかった。しかし、乗用車は週に二度、三度、と高い頻度で姿をあらわすようになった。1時間以上停車し、しばらくすると誰を乗せるわけでもなく走り去っていく。最初は、住人の父親で多忙な子供を会社まで送迎しているのだろうか、あるいは路地奥の一軒家に孫がいて学校まで送っていっているのだろうか、と想像をめぐらした。けれど、それにしては停車時間が長すぎるし、姿をみせる時間も早朝や夕方とばらつきがあった。

 マンション前に長時間停車されるのも不安で、警察に通報して対応を頼んだこともあった。そのたびに警官がやってきて車両を移動するよう促したが、また幾日かすると彼は姿をあらわし、朗らかな笑みをうかべて正面を見据えていた。

 
 ある日、彼の姿を目にしても何も感じなくなっている自分に気づいた。別に実害があるわけではないし、放っておいてもいいのではないか。空き巣の下見にしては念入りすぎるし、ストーカーや性犯罪者にしては温和で、マンションに立ち入ることはおろか、車から表に出る様子すらない。しかし、いつまでも街角の差し色として見過ごすわけにもいかなかった。いまは朗らかでも、突然、凶暴化する可能性もあるのだ。迷ったすえ、最後のつもりで警察に通報することにした。

 最後の通報時には、それまでとふたつ違う点があった。ひとつは、駆けつけた警官が車両の移動を促すだけでなく、なぜいつもマンション前に停車しているのか微にいり細をうがって尋問したこと。もうひとつは、私が道路側の窓を細く開けて、彼と警官のやりとりを聞けるようにしたことだ。

 彼は警官の質問に対し、昭和ひとケタの誕生日を告げた。なぜいつも停車しているのかという質問には「姉にカネを持ってきた」と答え、「姉は2階に住んでる」と言葉をついだ。2階には彼の姉に相当する年齢の女性は住んでいない。そもそも、うちのマンションに高齢者は住んでいない。それでも、「いつもここで待ってると、姉が出てくる」といって彼は譲らない。

 嘘をついているようには聞こえないが、会話がちぐはぐでかみ合っていなかった。彼の時系列は複雑に入り乱れ、過去完了の出来事があたかも現在進行形の出来事のように感じられるだけなのだ。彼は、“認知”に問題を抱える老人だった。

 でも、もし彼の言っていることが事実で、単に時間軸が過去になっているだけだとしたらどうだろう。漏れ聞こえてくる彼と警官の話を聞きながら、ふと思った。このマンションが建つ何十年も前には2階建てのアパートが建っていて、彼のお姉さんが実際に住んでいたのだとしたら――。

   ◇ ◇ ◇

 ――やっぱり、明かりがついている。

 シゲオはトラックの運転席から、マンションを見上げた。銭湯にでも行っているのかもしれない。さすがに銭湯に行くぐらいのカネは残っていたのだろう、と彼は心得た様子でうなずいた。

「カネを貸してほしい」と、姉貴から電話がかかってきたのは今日の昼休みだった。職場に電話がかかってくると、近くの事務員に話を聞かれていそうで気が気じゃないが、姉貴も俺も家に電話を引くようなカネはない。同僚の飛田なんざ、事務所の電話をこっそり拝借し、青森の実家に遠距離電話をかけている。それに比べたら、俺はまだかわいいもんだ。「山根くん、お姉さんからお電話よ」と事務員に呼び出されるのはばつが悪いが、私用電話じたいは別にめずらしくなかった。

 俺の親父とお袋は3月10日の東京大空襲で死んだ。人ごみと火の海のなか、親父とお袋が先導するように前を走り、姉貴と俺がつづいたが、曲がり角まで来たところで親父とお袋を見失った。それが親父とお袋を見た最後だった。姉貴と俺は風上の小学校まで逃げ、どうにか命拾いした。つぎの日の朝、表に出てみると、あたりは一面焼け野原で、瓦礫と化した家々はくすぶりつづけ、そこらじゅうに黒こげの死体が転がっていた。生き残ったやつらは途方にくれた顔つきで焼け跡に立ちつくし、“我が家”の残骸からまだ使えそうなものを拾い集めていた。

 俺はあちこちの避難場所を駆けずりまわって親父とお袋を探した。似た人を見たと聞けば、遠く離れた町でも駆けつけ、その道中もそうでないよう願いながら黒こげの死体を確認してまわった。だが、ついぞ親父とお袋は見つからなかった。昭和20年3月10日付で死亡認定が下り、墓石にはふたりの名前とその日付が刻まれることとなった。

 親父とお袋が死んでから、姉貴と俺は手と手を取り合って生きてきた。だれにも話す気になれない過去だ。戦災孤児と呼ばれるのも、蔑まれるのも、憐れまれるのも嫌だった。
 引き取られた叔父夫婦には厄介がられ、遠慮しいしい飯を食ったせいでやせ細り、背もあまり伸びなかった。姉貴と俺は叔父のところで畑仕事を手伝っていたが、奴隷のような扱いと折檻に耐えかねて東京に逃げ戻った。何の当てもなかったが、もう我慢の限界だった。ほどなく姉貴は山の手の印刷工場に職を見つけ、俺は下町の工場で溶接の仕事についた。

 女の姉貴は給料が悪く、俺以上にカツカツの暮らしだ。金のいい仕事を求めて職安にいったら、嫌味な男に下から上まで値踏みするように見られたあげく、「これ以上稼ぎたかったら、特飲街にでも行くことだね」と追い返されたと唇を噛みしめていた。「そんな真似、俺がさせない」となだめてやったのが悪かったのか、以来、ことあるごとに頼られるようになった。

 高台には大手の出版社のほか、戸建てやアパートが立ちならび、坂下には印刷工場や戸建てやアパートが立ちならんでいる。どっちも似たようなもんだが、高台と坂下の違いは建物の大きさだ。高台にはわりかし大きいものが、坂下にはわりかし小さいものが建つ。どこの町もこの景色は変わらない。
 姉貴の住むアパートは職場が借り上げたもので、なぜか工場から少し離れた高台に建っている。工場の社長とアパートの大家が知り合いだからだというが、姉貴にいわせれば、その大家とは社長が昔入れあげていた芸者らしい。芸者をやめても食うに困らないようにアパートを建ててやったって話だ。大家は暇つぶしに三味線を教えていて、たまにアパートと隣り合わせに建った2階屋から三味線をかき鳴らす音が聞こえてくる。

 今日も三味線の音を聞きながら待つことになりそうだ、と俺は思った。姉貴は出てくるまでに時間がかかる。アパートの前に着くとクラクションを鳴らして合図をするが、10分待つのは常だ。トラックのドアには勤め先の工場の名前が入っている。手持ちぶさたの俺は、運転席からその黒文字を指先でなぞった。

 しばらくすると、姉貴が申し訳なさそうに両手をすり合わせながら出てきた。俺は額に手をあてて敬礼し、トラックからさっと下りた。
「ごめん、シゲオ。待たせちゃって」
 いつものことだろ、と俺は内心苦笑した。
「これ」
 俺がカネの入った茶封筒を渡すと、姉貴はそれを押しいただいた。
「いつもごめんね。給料が入ったら、すぐ返すから」
 そう伏し目がちにいう姉貴の声色から、またあの男に貢いでいるんだろうと察した。特攻崩れから、盗品も扱うようなガラクタ売りになったあの男。無頼気取りでいけ好かないやつだ。でも、それを姉にいうと、決まって顔をしかめる。別れるよう忠告したときは、ふた月も口を利いてくれなかった。以来、やつのことは禁句だ。

「変わりない?」
「ないもなにも、先々週も会ったばかりじゃない」
 そうだ。あの野郎が博打でもうけたといって、寿司を馳走してくれたんだった。嫌なことを思い出しちまった。頭では、寿司桶をひっくり返してやろうと思っていたが、いざ姉貴の部屋で桶いっぱいに詰まった寿司を前にすると、ろくなものを食ってない俺は拒めなかった。ひとつつまんではまたひとつと、やつを睨み睨み、口に押し込んでいった。

 姉貴も俺もうつむき、黙り込んだ。数秒の沈黙。オート三輪が向こうから走ってくるのが見えた。潮時だ。
「じゃあ、また」
 俺は軽く手をあげ、小走りにトラックに乗り込んだ。バックミラーに姉貴の姿が映る。いつも名残惜しそうな、心細そうな顔をしているが、トラックが曲がり角にさしかかると、やれやれという顔つきでアパートに入り、たたきで足をぶらぶら交互に振って下駄を脱ぐのだ。何に対するやれやれなのだろう。俺らの境遇だろうか、それとも自分の人生だろうか。ずっと気になっているが、いまだ聞けずにいた。

   ◇ ◇ ◇

 “もはや戦後ではない”だと。笑わせてくれる。貧乏暮らしなのは相変わらずだ。俺だけでなく、工場のやつらも、姉貴もみんなカツカツだ。でも、ボーナスが入ったところをみると、工場の景気は悪くないらしい。俺は忍び笑いをもらした。今日は姉貴にうまいもんをおごってやろう。天ぷらかとんかつがいいな。

 姉貴のアパートの前で、クラクションをひとつ鳴らして合図を送る。姉貴はいるはずだ。部屋の電気もついてる。なのに、出てこない。どこに行ったんだ。

――窓をたたく音に振り返ると、若い警官が立っていた。「ちょっと、いいですか?」とくぐもった声とともに、警官は窓を開けるようジェスチャーで示した。ここはおとなしく従ったほうがよさそうだ。

「免許証を見せてもらえますか?」

 窓を開けるやいなや、警官は疑り深い目つきで俺の顔をのぞきこんだ。ぶしつけなやつだ。ポリ公は作業着姿の若い男を見ちゃ疑ってかかる。俺はじろりとにらみ返した。

 しかし、警官の目には柔和な顔つきの老人が映っていた。ニコニコして免許証を探すそぶりも見せない。警官は眉をひそめた。二、三度、提示を求めて、ようやく老人は財布から免許証を取り出した。
 警官は免許証を確認し、返却しながら質した。「ここで何してるんですか?」
「姉にカネを持ってきたんです。ひとりで暮らしてるから」

 そうだ、俺は姉貴にカネを持ってきたんだ。

「お姉さん? 何階に住んでるの?」
「2階。2階の右端」

 そういって、俺はアパートを見上げた。2階? 2階にしてはずいぶん高く感じる。2階建てのアパートだったよな。

「2階の右端ですね?」というと、警官はエントランスの風よけ室に入った。銀盤の数字を押して部屋番号を入力し、“呼出”ボタンに指をのせる。ややあって、相手の声が聞こえた。
「はい」
「夜分にすみません。警察の者です。あのそちらに、山根さんとおっしゃる方はお住まいですか?」
「いえ、うちは松永ですけど」と女が当惑気味に応じた。
「失礼しました。では、このマンションに……といっても、ほかの住人の方のことはわからないかもしれませんけど、高齢の女性ってお住まいですかね? おひとりで暮らしてるような」
「どうでしょう。ご高齢の方はお見かけしないですね。それ以上のことはちょっとわかりかねます」
「はあ、そうですか。ご協力ありがとうございました」
 警官は小首をかしげ、エントランスから表に出た。相変わらず老人は正面を見つめて微笑んでいた。警官は腰をかがめ、運転席の老人に話しかけた。
「お姉さん、住んでないって」

 姉貴? 姉貴がどうしたって? 姉貴は結婚して、練馬に住んでるんだ。

「姉は練馬に住んでる」
「へ? お姉さん、ここに住んでるんじゃなかったの? 練馬?」

 この若造はなにいってるんだ。姉貴は子どもも大きくなって、だんなも死んで、いまは……あれ、あねきはどうしたんだろう。あねきはどこにいったんだ。

「しんいち、おかあさんはどこにいった?」

 警官は眉をひそめ、やがてことの次第を理解したようにため息をついた。認知症、か。「お姉さん、ここに住んでないみたいですよ。さっき聞いた、ご自宅の番号に電話しましょうか? おうちの人に迎えにきてもらったほうがいいんじゃないですか?」

 おうちのひとってだれのことだ。かぞくはあねきしかいない……ああ、うちにかえったら、あねきがまってるのか。

「大丈夫? ひとりで帰れますか?」
 老人は朗らかに笑みをうかべ、こくりとうなずいた。
「あのね、近隣の方から何度か通報が入ってるので、もうここに車止めないでくださいね」

 ここにとらっくをとめられないんじゃしょうがないな。かどにとめて、あねきにあるいてきてもらうしか……あれ、あねきはどこにいったんだ? あねき、なんでそうしきのしゃしんになってるんだ?

「もう一度言いますけど、お姉さん、ここに住んでないみたいですからね。気をつけて帰ってくださいね」

 ああ、そうか。うちでまってるのか。かえりに、いなりずしでもかってってやろう。

 
 警官は走り去るブルーの乗用車を見送りながら、思ったより運転がうまいな、と妙なところで感心していた。でも、ひとりで帰らせて大丈夫だっただろうか。まあ、いい。オレの任務は終了だ。

 警官は自転車にまたがり、無線機をとって連絡を入れた。そして、もう一度マンションを見上げると、肩をすくめてペダルをこぎはじめたのだった。